BROMPTON JUNCTION KOBE へよったあと、神戸市内をポタリング&食事(といってもうどん)。交差点に賀川豊彦生誕100年の記念碑があった。賀川豊彦は「死線を越えて」でも知られる、日本の生活協同組合運動を作った人だ。神戸購買組合を作った。この記念碑には「彼の理想が永遠に宇宙のかなたまで広がってほしいという願いがこめられている」し、「形の違う4本の柱のうち1本は長さが足りておらず、それは、力の強い人も、ハンディをもった人もみんなで社会を支えていこうという意味」だそうだ。
阪神電鉄西灘駅から九条駅まで輪行。混んでいるわけではないけれどBROMPTONがあるから立ったままでいた。九条駅から地下鉄中央線(といってもこの辺りは高架を走っている)に沿う道は歩道が広く、自転車道も整備されているし、交差点等でもでこぼこが少なく走行しやすかった。大阪の街にもこんな道があったんだ。
なみはや大橋は早朝にNHKハイビジョンで再放送されていたものを見て知った。何とも不思議な魅力のある形をしているし、とても高いところを通る、自動車は有料、歩行者と自転車は無料の橋だ。大阪市のホームページによると、「なみはや大橋(尻無川新橋有料道路)は、1995年2月に完成。大阪市大正区鶴町と港区海岸通を結ぶ全長1740メートルの有料橋。 流線形を描いた長大橋で、往復2車線。中央部では、水面から高さ45メートル、幅100メートルの航路を確保した設計。尻無川河口部の両岸を結ぶことにより、港湾地域の道路網の整備と災害時の避難・救援路の役目を果たす目的で計画された。」とある。
歩道の入り口は本線から外れたところにあり、いきなり急な登り坂。ということで途中から押して上った。車道と合流したところからも決して緩やかとはいえない上り坂で、何とか頑張ろうとしたけれど、途中で、やはりBROMPTONを押して歩いた。緩やかに右にカーブしながら上っていくのだが、気がつくとずいぶん高いところを走行していた。眼下には宇部興産があり大型車両がたくさん、それも小さく見えるほどで、カメラをもつ手に力が入った。橋の半分は思いっきり下りだったのであっという間にIKEAの前まで行ってしまった。そして、初IKEA、、、なるほど、これがIKEAか。小さいソフトクリームが50円で食べられたが良かった。後は特にコメントなし。
さて、そろそろ帰りのことを考えて最寄の鉄道の駅は、とiPhoneで探してみると、結構遠い。なるほどIKEA往きのバスが大阪駅や難波駅から出ているわけだ。ということで、決意してなみはや大橋を戻って、中央線朝潮橋駅から輪行して帰宅した。
なみはや大橋は災害時の避難・救援路としての役割があるというが、本当に役に立つのか、それは?だと感じた。この辺りは埋め立て地のようであったので、規模の大きな地震の場合は液状化現象で橋までの道路が損傷を受けることが想像できる。さらにあの橋自体が耐えられるのか?「想定外」・・・どの程度の災害を「想定」しているのか?45メートルの高さというのも、本当に必要なの??着工から完成までに18年間、217億円の公共事業だったそうだ。災害時には想定している役割を発揮してほしいと願う。
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