ワークショップでディベートを経験した。その日に用意されていたプログラムは3つあったのだけれど、あえて不得意なイメージのあったディベートを選択。ディベートの印象は「相手を論破する」「言い負かす」「議論のけんか」という参加者も多かったし、自分も少なからずそう感じていた。4時間のワークショップの最後には実際にディベートして判定を受ける、判定するというところまでやった。聞く、読む、話す、考えるということを集中してやらなければならないのでかなり疲れた。中でも「言葉にする」ということがとても難しいことを再認識した。言葉にするために書くのだけれど、それが上手くできない。チームのメンバーとディベート時間内に準備と称して反駁(はんばく)の内容を検討する際も、感じていることが上手く言葉になってでてこない、相手は一生懸命理解しようとしてくれているけれど「わからない」表情をしているのがこちらにも良くわかる。何とも歯がゆかった。
ファシリテーションとディベートがどう共存し、高めあっていけるのか、使い分けていけるのかがわかるようになりたい。
会場の大学付近では満開を過ぎた桜が盛大に散っていた。4月14日、今年は桜が遅かった。